ルーミーの詩とマントラ瞑想

ルーミーの詩に、「ゲストハウス」というものがあります。

とても大好きで、時折読み返しています。



人間という存在は、みなゲストハウス

毎朝、新しい客がやって来る

喜び、憂鬱、卑しさ、そして一瞬の気づきも

思いがけない訪問者としてやって来る 訪れるものすべてを歓迎し、もてなしなさい 

たとえ、それが悲しみの一団だとしても できるかぎり立派なもてなしをしなさい 

たとえ、それが家具のない家を荒々しく駆け抜けたとしても


もしかすると訪問者は、あなたの気分を一新し 新しい喜びが入って来られるようにしているのかもしれない 


暗い気持ちや、ごまかし、ときには悪意がやって来ても 扉のところで笑いながら出迎え、中へと招き入れなさい 

 

どんなものがやって来ても、感謝しなさい 


どれも、はるか彼方から案内人として


あなたの人生へと、送られてきたのだから 




とても心に響いて、メモを残したのだけれど、一つ納得できない点があった。


それは、悪しきものが訪れることを歓迎しなさいという点。

私の解釈で、宗教的に、神を信じている人たちはそういう考え方をするのだろうと思っていました。


それが、今朝の瞑想で突然、理解ができました。

私の中の響き、源泉は日々、常時ゆるゆると動いています。


瞑想した時の体感もイメージも移ろいゆく。

その響きを全身で感じる、受けとめる。


宗教であれば神、スピリチュアルであればスピリット、宇宙。


その響きをただただ、自分のエゴも手放して受け取る事。


そういう意味だったんだ、と思った瞬間に、この詩が猶更好きになりました。

記憶の湖

これまでに出会ってきた多くの人たちから影響を受け続け、そしてそんな人たちと過ごした時間の記憶の集合体のようになって今の僕があるのかもしれないと考えることがある。 「パイロットフィッシュ」大崎善生

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