エゴとの暮らし

自分の「エゴ」を、最近とても興味をもって観察しています。

(デジタル大辞泉 エゴ=(1)自我(2)エゴイストの略)

エゴはとっても、私思いです。

私の重要性をとても大切にしてくれます。

「私が居ないと○○だ」「○○は私にしかできない」等と言って、私を励ましてくれます。


一方で、執着を生む源にもなっています。

「これは私の所有物だ、だれにも渡さない」とか

「もっともっと○○が欲しい」と言って、私を促します。


私はずいぶんと長くエゴと暮らしてきました。

エゴの力で達成できたこともたくさんあります。豊かさをもたらしてくれた力の一つです。


ただ、エゴが動くときは、同時に影のような痛みを生みます。


例として、仕事を頑張っているときを挙げてみます。

プラスの効果は「この仕事を効率的に進められるのは私しかいない、だから私が頑張るのだ」と言って牽引してくれること。

マイナスの効果は、「私がこんなに頑張ってるのだから、みんなはもっと認めて褒めてくれるべき」と欲求が生まれます。


そして、最近、エゴではなく、「自らの深み・源に預ける・任せる」という事を実験しています。


例えば、私は、福岡のNVCを学ぶ場、共感的コミュニケーションのつどいの世話人をしています。


これまでは、「多くの人に集まってほしい・みんなに広めていきたい」という思いが強くありました。なので、人をどんどん増やしたいと思っていましたし、活性化させるため、エゴがとっても頑張っていました。


もちろん、エゴのもたらす痛みとして、「世話係をしている自分を認めてほしい」という気持ちも芽生えます。


このことを、源に任せると、思いが変わります。

「もし、このコミュニティが必要とされるのなら、必要な人に届けてください。そして必要なだけ、十分な豊かさを持てるようにしてください」


このとき、私は単なる「導管」でしかない。

私を通じて、必要なことが起きるよう、任せてしまう。もちろん執着も生まれないし、私を認めてほしいという思いも消える。ただ、生まれてくるエネルギーに任せて、そのフローに乗るだけ。


このほかにも、任せる実験中のものがあるのですが、その体験は驚く結果をもたらしています。


源に任せ、源から湧き出る微細なセンスを捕まえ、その流れに任せてしまう事。


このことも、しばらく研究したいと思います。



記憶の湖

これまでに出会ってきた多くの人たちから影響を受け続け、そしてそんな人たちと過ごした時間の記憶の集合体のようになって今の僕があるのかもしれないと考えることがある。 「パイロットフィッシュ」大崎善生

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