反共感論
NVCを学んでいる私にとって、とても衝撃的なタイトルでした。
読み終わるまで一月ほどかかりました、ゆっくりと、丁寧に読み進めました。
まず、NVCとの関連で言いますと、本書は否定する共感と、推奨する共感を提示しています。
NVCの共感は、推奨する共感にとても近いです。
著者によると、共感には大きく二種類あります。
一つは、「他者が感じていると思しきことを自分でも感じること」すなわち、「他者の経験を経験する」、これは、他者の感情をミラーリングする共感で、「情動的共感」と言います。
もう一つは、他者の心の中で起こっている事象を、感情をはさまずに、評価する能力に結び付けてとらえる。他者の立場に身を置いて、他者の視点で物事を考える、つまり、思いやりや配慮のような共感で、「認知的共感」と言います。
著者は、前者の「情動的共感」が道徳的な問題や公共政策に適用された場合に、問題が起きると提起しています。
情動的共感は、見知らぬ人や、統計データ、匿名の被害者などには起きず、身内や知り合い、特定された被害者に対して発揮されます。(スポットライト効果と呼んでいる)
例えば、ワクチンの問題。
ワクチン被害にあった少数の被害者が実名で薬害を訴えると、そこに共感が発動するのです。
統計データで考えた場合、ワクチン接種を実施したほうが明らかに被害が少なくて済むとしても、ワクチンによる少数の被害者が実名で声を上げると、ワクチン接種自体を取りやめてしまうという事が起きます。
あるいは、インドネシアの子どもが学びの機会を得るためには、本来、インドネシアの社会構造を変え、子どもが学べる環境を整えることが必要です。
しかし、悪人は情動的共感につけ込みます。
「カンボジアの孤児院に収容されている子供のほとんどには、少なくとも片親がいるが、孤児院は貧しい親に金を払ったり圧力をかけたりして、子どもを手放させようとする。」
「ブノンペンにある人権団体の創設者ウ・ヴィラクは<哀れみは最も危険な感情です。カンボジアは物乞いのメンタリティから脱する必要があります。また外国人は、純粋な情動に駆り立てられないようにしなければなりません>と言う。」
著者は、情緒的共感を、道徳的な問題や公共政策に適用することが無いよう、繰り返し、丁寧に論証していました。
そして、その部分については、私もおおむね同意します。
あと一歩深めて言うと、「自己共感や瞑想を通じて自分の深みと繋がるステップのあとは、思考を使って行動を具体化するのが大切」と言う私の仮説が強化されました。
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