地域会議の模擬ファシリテート
システムアウェアネスの演習で、地域会議の模擬ファシリテーションをしました。
そして、これがかなり痛かったし、やっと痛みの一部が抜けそうなので、文字に起こしておきます。
学びの仲間たちに、70代の会長、50代の住民、PTAのお母さんなどなどの役割(ロール)をお願いし、「地域活動の世代交代について」の会議をファシリテート
すでに現場で、同様な場や、個別に声を聴いている私は、ファシリテートする以前からイメージに圧迫されていました。
参加者から、「Zoomアプリの、スマホへのセットアップなどを、できる人が担い、オンラインで会議できるようにしましょう」という話が出た時、この模擬会議の場は、そのままスムーズに流れていきそうになりました。
しかし、私にはまったく別の思考が走る。
過去に、同様のシチュエーションで、オンライン会議を地域の古老たちにやんわりと提案した経験があり、厳しい拒絶を受けていた事が想起されるのです。
過去起きたリアルの出来事として、
「そんなことできる訳ないだろう、こうやって公民館に集まるのが一番。大体、オンラインなんかでやり取りしても信頼感は生まれない。本当は日中に会議したいのを、共働きや若い世代に配慮して19時から始めるなどこちらも十分配慮している!」
とお叱りを受けた。
なので、模擬会議での「地域会議をオンライン会議にする」という提案に対して、私は全く心動かないどころか、「古老たちが激怒する」痛みが走り、その提案をやんわりと中和しようと働きかけてしまう。
このようなことが随所に現れてしまう。
やがて、模擬会議を中断し、中途フィードバックが始まるなかで、学びの仲間から指摘を沢山受ける。
この段階から、私は「逃走&フリーズ」に神経がスイッチし、全身が凍り始める。ひきつった笑顔と共に動けなくなる。
やがて、場の時間を一部撒き戻して、再スタート。
何とか気力を振り絞ってファシリテート、場にあまり介入せず、場の勢いに任せてとりあえずのサポート。
最後の締めの段階になり、合意をまとめようとするも、話し合いの中で触れられることのなかった費用面に気づき、その約束を企業から引き出そうと思って、場に差し込む。
すると、ロールの参加者からの指摘に加え、ロールを降りた方々からも、「私がマイナス面にばかり目が向いている」とガツンと指摘されました。
何度も攻撃や批判を受け、反射的な恐れが生まれている私が、世代交代についてなど繊細な話題を扱う場をファシリテートすると、マイナス面に目が行き、活動を遮ってってしまう。
これから考えを深めて、私が、今の職場を楽しいと思っていた意識の裏側(2次プロセス)で、相当な痛みと傷つきを抱えているという気付きが生まれました。
生活している地域から離れられない住民たちは、結束のために、往々に行政を敵として団結する、喧嘩しない知恵として行政を叩くという行動を取ります。
この実際に起きていることが、私を相当に痛めていると分かりました。
また、この痛みを庇いながらファシリテートするとき、ロールを演じる人たちは、その痛みを敏感に察知し、そこを攻撃するモードに入るという気づきも。
ファシリテーターは、痛みを治癒した状態であることが望ましい。
などなど、様々な学びが。
最も大きな学びは、参加者のサポートから、「二次プロセスを場に」という叡智をもらったこと。
これはすごく大切に実践していけるヒントとなりました。
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